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2007年9月

育児って難しい!!

 子育てって、本当に難しいですめ。上に小六の子供がいますが何年たっても未だに親も子も毎日が社会勉強の日々です。

私たちが子供の頃よりも今の子供たちはもっと精神構造が複雑で、良くも悪くも大人の部分を必要とされているように思います。

私個人としては、子供は子供らしく無邪気でまっすぐで、なおかつ心豊かであって欲しいと思っていますが、それだけではやはり今の世の中を生きていくのは難しいようです。

どのようにすれば目に見えないけれども一番大切な子供の心の根っこの部分を太く大きく育てて、大地にしっかりと根を張らせることができるのか、今のところ同じ年頃の子供を持つ友人や先輩ママさん達から本を紹介していただいて読み、反省したり共感したりして勉強している日々です。

ちなみに私のお薦めは、「子供を伸ばすお母さんのふしぎな力」渡辺久子著(株)企画室です。

                  2001.9.21の日記より ク-ミンでした。 

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悩めるママたちへ

しっかり

 草の根のようにしっかり

 草の花のようにやさしく

 草の実のようにつよく

 どんな風雪にもメゲズ

 たとえだれに知られなくても

 自分の道をゆく草の心に学ぼう

 この詩は子供が幼稚園生のときに園からのお便りに載っていたものです。これは当時社会勉強中(初級編?!)の私をとても勇気づけてくれた詩で、今でもこの詩を思い出し救われたりします。

園長先生(アメリカ人)のこの詩へのコメントは、

This really is a poem to help one be strong.でした。

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パンの切りくち

 こんなに落とし穴だらけだなんて・・・・・

 と

 アリがいいました。

 この詩は、小野ルミ作「ゆきふるるん」という詩集の1ペ-ジ目の詩です。悲しいけれどまさにこの詩に共感してしまった私です。

本当は落とし穴なんてひとつも無い世の中が理想なんですけれど・・・。

子供たちにこのような世の中を行き抜く力をどう付けていけば良いのだろうかと考えると複雑な心境になってしまいますし、大人の私たちだって答えを知っているわけではないのでとても難しいですね。

幼いけれどすでにこの詩のような思いをした子供たちがいるかもしれません。そういう時しっかりと包み込んで癒してあげられる場所になれたらいいなあと思っています。(そのためにはまず自分がしっかりしなくてはと思うのですがなかなかです。)

そういう場所がある子供たちは心が傷ついても安心して回復して又元気に飛び立っていけるのだろうと思います。

そしてそれ以上に他人の優しさや思いやりの心に触れる経験を積み重ねていくこと大切なことだと思いますし、子供たちに「だから、世の中って素敵だよ!!」と伝えたいですね。

                 2001.10.25の日記より ク-ミンでした。

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悩めるママたちへ-その2

 小学校低学年の頃は、子供はよく学校で言い合いをしたりケンカをしたりして帰ってくるようですが、基本的には子供はケンカしたり又仲直りしたりを繰り返しながら、更に仲良くなっていくのだと思います。

そういう経験を通してお互いの立場や心情を理解し合ったり、反省したりしながら成長していくのでしょうね。

これは、子供が幼稚園生の頃の園長先生(アメリカ人)のお話の中で得られた発想ですが、これにより少し心にゆとりが生まれたような気がします。

 昔から「ケンカするほど仲がいい」と言われていますが、我が家では普段からよくこの言葉を子供たちに言っています。それは時として(いえ、いつも)夫婦喧嘩の言い訳だったりするのですが・・・・。

 ここで子供のエピソ-ドをひとつ。

 子供が幼稚園生の頃、いつもは元気なお友達がその日は元気が無かったらしく「どうしたの?」と聞いたら「パパとママがケンカしちゃった。」という答えが返ってきたそうで「大丈夫だよ。ケンカするほど仲がいいって、うちのママがいつも言ってるよ。」と教えてあげたら元気になってた。と報告してくれたことがありました。きっと、めったにケンカなさらないご家庭だったのでしょうね。

十の家庭があったら十の家庭の方針があり、それぞれがベストを尽くしているわけで、まさに「みんなちがって みんないい」のだと思います。(と、夫婦喧嘩の言い訳だったりして・・)

子供の感情って繊細だけど、反面、すごい回復力も持ち合わせていて柔軟性に富んでいるんですね。大人として(まだまだですが)子供たちの心を育んでいくことの重要性をつくづくと感じたことでした。

小学校も高学年になるとあまりケンカとか聞かなくなってきます。そこに至るまでに子供たちは様々な経験を通してからだはもちろん心も成長して*真実を見極める目と力*(未だに私にとってこれは重要課題だし大切なことだと思っています。)を少しずつ自然に身に付けてきているのかなとちょっぴり頼もしく思ったりもしています。

子供を持つと(子供は神様からの預かり物であり、授かり物つまり自分の所有物ではないそうです。)様々なことで悩んだり心配したりと苦労も多いですが、子供たちと一緒に自分も成長していけることを逆に楽しんでいけたらいいなあと思っています。

                 2001.12.11の日記より ク-ミンでした。

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子供の小学校卒業に思うこと

昨日は子供の卒業式でした。家に帰ってから卒業アルバムを見ながら家族で小学校生活を振り返りました。

たくさんの人々との様々な関わりの中で優しく逞しく成長し凛として立っている我が子の姿が今目の前に存在していることに気づかされました。(スゴイ親バカかも!!)

どんな時でもただ暖かく見守ってい続けることしかできなかった私でしたが、逆にそうすることができた自分でいられたことに感謝したい気持ちにもなりました。

自分がいつも感謝の気持ちを持ち続けていると、自然と自分のまわりには幸せなことが集まってくるように感じます。

そして「愛することは信じること」(と私は思っています。)これからも子供たちを信じて見守っていきたいと考えています。

ここで中学生という新たな人生の扉を開こうとしている子供に、親として(未熟者ではありますが)伝えたいことを書いてみたいと思います。

*真実を見極める目と力*は、今でも私の最重要課題です。子供たちにも何よりも優先してこれを身に付けて欲しいと思っていますが本当に難しいです。

集団生活で学ぶべきことはとてもたくさんあると思います。ただ、ここで注意すべきことはある一方的な情報からのみで人を色メガネで見たり判断したりしないようにすることだと思います。

私は基本的には自分自身が実際に見たこと、体験したこと、本人から直接聞いたこと以外は、信じ込まないように努力しているので、だからこそ*真実を見極める目と力*が重要になってきますがなかなかです。そう簡単に身に付くものではないですね。

海外生活が長かった人の話ですが、むこうでは人の陰口は言わず、言いたいことがあったら直接本人に言い、たとえそこで議論になったとしてもそれによりお互いの気持ちを理解しあうことや二人の歩幅を縮めることができたりするそうです。何よりここで注目すべき点は、言われた本人は言ってくれた相手に対して、最後に必ず「言ってくれてありがとう。」と言って握手するのだそうです。心から素敵な世界だと思いました。うらやましいです。

日本人は、農耕民族で昔からみなが同じように足並み揃えて協力しながら作業をしなければ生きていけなかったようです。それとは対照的に欧米人は、狩猟民族であり個人主義的要素が大きかったようです。

どちらにも長所があり短所がありますが、近年日本でも個性をもっと重視、尊重しようという風潮になってきています。しかし、やはりその過渡期でもあり、子供たちはいったいどの方向に向かって行けば良いのかわからず宙ぶらりんの状態に陥っているようにも思えます。

つまり「個性的」=「わがまま、非協調的」                    

逆に「協調性有り」=「自己主張できない、非個性的」

という「紙一重」のようなレッテルを貼られてしまうおそれのある構図から、子供たちはどこへも行き場が無いような現状に居るのだと思います。日本の教育現場ににうまく個性を取り入れていくのには、まだまだ多くの課題があるような気がします。

子供たちはこれから大人としての自分自身というものを少しずつ確立していくわけですが、人の意見にばかり左右され根無し草のようにゆらゆらしている人にならないように、しっかり地に足を着いて自分の足で立ち自分の頭で考え判断し自分の意見がきちんと言える勇気在る人になって欲しいです。

そしてこれは、私自身も目指しているものでもあります。でも、ここに辿り着くにはまだまだ遠い道のりです。これから子供たちと一緒に試行錯誤しながら、ゆっくりそこを目指して歩いて行こうと思っています。我が家は家族4人合わせてやっと一人前になれるかどうかといったところです。それぞれが一人前になれるのは、いったいいつのことやら・・。

一生を終えるまでにたとえゴ-ルに辿り着けなかったとしてもそこを目指して努力し続けることが大切なのだと思います。

             2002.3.19の日記より  ク-ミンでした。

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NHKテレビ小説「さくら」

最近、NHKテレビ小説「さくら」に家族ではまっています。外国から見た日本の良いところ悪いところ理解しがたいところを描写しているのですが、これを見ながら私が幼少の頃不思議で仕方なかった母の教えを思い出しました。

*お友達の家に行った時、おばちゃんに「お菓子をどうぞ」と言われても「いいえ、結構です。ありがとうございます。」と断って、それでも勧められたらもう一度断って、更に勧められたら三度目には「ありがとうございます。それでは遠慮なくいただきます。」と言っていただくように。*

おそらく母は日本人が美徳としている「奥ゆかしさ」を教えようとしたのでしょうが、小学生の私にとってはその儀式のようなやりとりが無意味なことのように思えて理解しがたいことでした。

本当は食べたいのにどうしてはじめは断らなくてはならないのか、どうして三度目ならいいのか当時私の疑問はつのるばかりでした。

一方で「どうぞ」と言われたら、嬉しい時には素直にすぐ「ありがとうございます。いただきます。」と言っていただくようにするのが子供らしいという考え方もあります。

はたして、どちらが良いのか悪いのか、相手の年代や受け取り方により様々だと思いますが、私個人としてはどちらかというと思っていることと言っていることが一致しているほうが分かりやすくて好きです。

ただ、やはりそれは相手のタイプや状況に応じて臨機応変に対応することが必要かもしれません。この辺の微妙な兼ね合いは、本当に難しいですね。

人は、十人十色でいろいろなタイプの人がいるということを理解してお互いの違いを認め合い尊重しあうことが大切であると、この年齢になってようやく分かってきた(遅すぎるかも!)ような気がします。

「私だったらこうするのにどうしてあの人はそうしないのだろう。」と、自分と違う考え方や行動に対して違和感を持つのは、自他分離(自分と相手は違って当たり前という認識)がきちんとできていないからだそうです。

私を含め日本人はお互いの違いを認め合うことにまだあまり慣れていないのかもしれません。でもお互いの違いを認め合うことは、自分と相手を尊重し大切にするための原点のような気がします。

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母の教えの中で今でも私が守ろうと努力していることがあります。それは、*人の悪口は、見ざる・言わざる・聞かざる*です。

人は神様ではないので誰でも必ず長所もあれば短所もあります。

父いわく、「自分の短所も相手に受け入れてもらって許してもらっているのだから、相手の短所も受け入れて許せるように努力することが大切。お互い批判しあうのではなく、お互いを許しあい認め合い足りない点は補いあうことが大切。」(父は、H19.3.13に77歳で永眠いたしました。)

人の悪口や陰口を言ったり聞いたりしていると、後味の悪さばかりが残って気分が重く沈んで心の幸せがしぼんでいくような気がします。

それとは逆に、自分の周りをよく見てみるとどんな小さな事でも人の良い面を見つけて感心したり褒めたり感謝したりしている人たちの周りにはやっぱり素敵な人たちが集まって来ているように思います。

そういう人たちに接する度に何とも言えないすがすがしい幸せな気持ちになれます。こんな気持ちを味わう度に子供たちにもしっかりこの母と父の教えを伝えなくてはと思うこの頃です。

最後に私自身が今までの人生で学んだことは、

 人の幸せは心の中にある。                           

 その心の幸せは自分自身でつくるものである。

 全ては自分次第である。

 そのためには、どんなときでも感謝の気持ちを持ち続けることが大   事である。                                  *

これから先更にどんなことを学んでいけるのか自分自身が楽しみです。だから、人生って苦しいけれどそれ以上に楽しいのかもしれません。   

                 ク-ミンでした。

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どんな人とも付き合える幅の広さ

「どんな人とも付き合える幅の広さ」は、実は御恥ずかしながら私の未だに解決できない悩みでもあります。

殆ど初対面に等しい一部の人から、嫌な気持ちになるような事を言われたり、されたりすると、なすすべも無くただ呆然としてしまい、ついその相手から遠ざかってしまいます。

つまり、「いわれのない(身に覚えの無い)怒り」を相手から受けた場合、それをそのままそっくり相手にお返しすることができればストレスもたまらないのでしょうが、それができない性質の人間にとって、唯一自分の心を守る方法は、そういう相手にはあえて近づかないということしか今の未熟な私には思いつかないのです。

今までの辛い経験(たとえば、子供が幼稚園から小学校低学年時に、自分は正しいと思うことを当たり前に正しいと主張しただけなのに次の日からグル-プのリ-ダ-格の人から仲間はずれにされたりして、その不条理さを理解できずに親子で泣いた日々も多々ありました。)から、子供は親の私よりずっと、冷静に真実を見抜く目と、芯の強さと、逞しさを身に付けて成長し続けてきているようですが、私は、このように頼りなく子供に伝授してあげられるその術も未だに見つけられず情けない限りです。

でも自分の一生を終えるその日まで、この宿題を解くための努力は続けていきたいです。

そして、それと同時に自分の心を支えてくれる心が通じ合う友人や家族の存在は単なる偶然ではなく宝くじに当たるよりももっとありがたい運命的な存在であり、私の大切な宝物でもあります。その暖かな心に触れるたびに感謝の心が溢れてきてその力に支えられている自分を認識し、大切にしたいと強く思います。

私は幸いににして学生の頃から十数年、二十数年お付き合いさせていただいている、ありのままの自分で無防備に話せる友人に、数は少ないのですがめぐり合うことができて今では家族ぐるみでお付き合いさせていただいています。子供たちにもそういう運命的な出会いが訪れることを願っています。

                      ク-ミンでした。

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子育て-その3

春休みに子供から「ママ、子育てって難しいというけど、子育てには成功とか失敗とかあるの?あるとしたら、どういうふうに子供が育てば成功と言えるのだろうね。」と聞かれて、親としてはドギマギしながら鋭いところを突かれてしまったなあと真剣に考えてしまいました。

子供の成長は速いものでこんな疑問を抱くようになるまでに成長してしまいました。

家族によってその答えは様々だと思いますが親が子供に伝えられるものは、「あなたが、ありのままのあなたで、そこに存在しているだけで素晴らしい。」という、「あなたの存在価値は、~ができるからとか、~が人より優れているから素晴らしい、というような条件付のものではなく、無条件のありのままのあなたの存在そのもの」だということを心の根っこの部分にしっかり根づかせてあげることだと思いました。

そのためには、まず「ありのままの自分を自分自身が好きである。」と胸を張って言える自分になることが大切だよねと家族で話し合いました。

ただ、ここで誤解してはならないのは、人は神様ではないので誰でも必ず長所と短所を持ち合わせているので完璧な人間にならなければならないと思う必要はないということです。

完璧な人間がこの世に存在しないからこそ自分も必ず足りない部分や欠点を持っているのだから、相手の足りない部分や欠点を非難しあうのではなくお互い補い、合い助け合い、許しあって生きていくことが大切だよねと話し合いました。

また、優れている面をもつ相手に対しては、その人を嫉むのではなく、「あの人は素晴らしいね」と心から言えて、自分もそういう人になりたいと自分自身を向上させる努力ができる人になりたいねと話し合いました。

「私は欠点や足りないところはたくさんあるけれど、だけど、私は私が好きです。」と胸を張って言える人になって欲しいし、私もそういえる自分になりたいと願いながら努力を続けていきたいと思っています。

                  ク-ミンでした。

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